2012年4月11日に毒母:サチコが乳がんで他界してから11年
あっという間の11年
でも、11年たっても桜が咲くこの季節はサチコを思い出す
最後3月末に終末医療のホスピスに入院したときに桜が咲き始め
巷は桜並木で散歩や花見で楽しんでいる人たちが大勢いた
2週間後桜が散る頃に他界した
入院中はフルで仕事をしながら、自宅から車で30分以上はかかる病院と
毒父:サダオ(右半身不随の障害あり)の食事等の面倒等をこなした
当然サチコとサダオのところには別々の日に通っていたし
夫も協力してくれた
当時はまだ30代前半だったから体力がもっとものの
今の年齢では到底無理(´Д⊂ヽ
一般的には相当早くに親を看取ったわけですが
今思えば若い時で良かったと思う
イヤイヤ、私頑張ったブログにしたいわけではない・・・
桜が咲くこの季節に、毎年サチコを思い出す自分がいる
サチコが恋しくて思い出すわけではない
以前にもブログに載せたことがあるが
サチコの理想の行動をとらないと酷く怒られた
条件を満たさないと愛情をくれない人だったから
サチコの希望通りの人間性ではなかった私は
常に怒られ、酷い時は布団たたきで叩かれたこともある
だから母親の愛情不足のまま他界していったもんだから
10年以上たった今でもその欲求を解決することができない
毎年、桜を見るるたびに私のアダルトチルドレンは
「もっともっと愛して欲しいかったよ~(ノД`)・゜・。」と泣いている
大人だから実際には泣いたりはしないし
愛情をくれなかった怒りもあるから
複雑な心境におちいる、しかも毎年(;´Д`)
正直うんざりしている
いつになったらこの感情は癒えるのだろうか
いい加減忘れ去りたいのだが
「愛情不足で育ったけど楽しく今を生きている自分偉い」って思えばいいっか?
だいぶ劣等感から解放されて
自分に優しく、他人にも優しく
理不尽のことには厳しくできるようになったし
最近はお一人様で外食できる強さも持てたし
お風呂屋さんに行ってリフレッシュもできてるし
せっかく楽しい人生になってきたのだから
毎年怒りと悲しみで心が沈むのはもったいないな
後数年かかりそうだけど
もっともっと楽しく生きていこう(*´ω`*)
🍀最後までご覧頂きありがとうございます🍀
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