· 

毒親 さちこ に育てられて

私の生い立ちから

 

父 さだお  1941年生まれ

母 さちこ  1945年生まれ

 

父・母ともに病気ですでに他界

 

私には兄が1人います

私を可愛がってくれたので兄自身には問題はなかったが・・・

 

学生時代の兄は母自慢の優秀な子どもでして

小学校から成績が良く、生徒会で議長(だったかな?)をやっていて

運動会の生徒代表の言葉を任されてたな~

 

中学では常に成績が学年トップ、悪くても10番以内だった

(勉強嫌いの私に兄の成績表を見せられて説教されたからよく覚えてる)

 

高校は市内で1番の学校に、大学は現役で私立A学院に入学した

 

兄は勉強がもともと好きなタイプの人間だと思うが

母は自分の子育てが天才だから兄がそのように育ったんだと信じていたよ(;´Д`)

 

実際に母から言われた言葉

「私は子育てのプロ お兄ちゃんのようにならないお前が悪い!!」

 

何度か言われたから、多分本気で思っていたんだと思う

 

そして、兄と母は似たようなタイプの人間だったし

母の手料理が大好きだったから、可愛くて仕方がなかったのだろう

 

 

私自身はとにかく落ち着きがなく、椅子に座っているのが苦手で

小学校の6年間、「落ち着いて授業に取り組みましょう」と成績表に書かれたぐらい

 

幼少期の頃は、親と買い物に行ってもすぐどっか行っちゃって

勝手に離れてウロウロしているもんだから、当然迷子には見えなくて保護されず

酷い時は、外に出て近くにある公園で遊んでいたそうだ

 

多分、現在だったら多動性障害と診断されたんだろうな・・・

 

勉強は嫌い

特に歴史が覚えられなかった

国語の読解力もなくて酷い点数だったな・・・

 

得意な科目もありますよ

音楽、体育、美術(絵はさほど上手ではなかったけどすきだった)

 

家庭科の裁縫が得意だった

すぐに仕上がっちゃうもんだから

授業中はボーっとしてたり

おしゃべりしてたから成績はあまりよくなかったけどね・・・

 

特技はちゃんとあったけど

母にとって国数理社英の成績が悪い私はダメな子

テストや成績表を見せるたびにお説教されてきた

 

「なんでお兄ちゃんみたく勉強しないの!!」

「お兄ちゃんと同じように育てているのに何でできないの!!」

「そんなんじゃ将来まともな人間になれない」などなど

 

とにかく私は兄と対照的なタイプの人間だったから

兄は、母の理想通りの子ども時代を自然な形で生きてきた人間だから

 

兄と比較され、叱咤されて育ってきた

私は私のまま生きてはいけないと

 

そして父は母の子育てに無関心だった・・・

仕事は休まない、けど運動会が雨で延期のため平日開催になっても休まない

テストの点が良くても悪くても何も言わない

母にこっぴどく叱られても野球中継を見て、時間になったら就寝

常に我関せずだったな~( ゚Д゚)

 

長くなるので、今回は私の家族関係のご紹介でした

最後までご覧頂きありがとうございます

 

(誤字・変換ミス・脱字・乱文があった場合はご愛敬で(;^ω^))